福岡の事件で思ったこと

どうもこんばんは。


福岡での中学生自殺ニュースの続報が毎日放送されています。俺も教員を目指す者として欠かさずトレースしていますが、気になったことをいくつか。


先日、週刊新潮が教師の実名と顔写真、そして自殺した生徒の実名を掲載して問題になりました。俺はその週の新潮を読んでいませんが、今日び、その程度の情報はwebから簡単に入手することができます。それは例えば2chであったり、どなたかのブログであったり…。


そしてそこに書かれているのは大抵が教師への誹謗中傷。中にはその教師の住所・電話番号、現在入院している病院名が晒されているのもあり、おそらくその教師の自宅には怪電話・脅迫文などが殺到しているであろうことは容易に想像できます。恐らく投石もあるでしょう。


この事件の真相はまだ解明されていませんが、今までの報道から教師やまわりの生徒が虐めた結果としてその生徒は自ら命を絶ったと考えて間違いないと思います。俺が以下に書く文章はそれを前提にしていますので、予めご承知おきください。


まず教師の実名報道について。


教師が虐めに加担、あるいは虐めのきっかけとなる暴言をしていたとなれば、当然この教師は罰せられるべきだと思います。ただ問題なのは、実名が報道された結果、その家族にまで被害が及んでいることです。社会的制裁はこれから始まるであろう裁判でその教師本人が受けるべきものであり、その家族は関係ありません。ただ、実名がweb上で晒されされている以上、恐らくこの教師の家族・親族は「いじめ教師の家族・親族」として、これから長い間差別や中傷の対象になるでしょう。加害者は成人なんだから実名報道は当然、一方で報道されることで関係の無い人たちまで被害を受ける現実。俺の考えはこの二つの間で揺れています。


だた、これは犯罪加害者側の問題として今に始まったことではありません。包丁で人を刺し殺した場合は報道されるのにどうしてこの教師は実名報道されないのか、という疑問も当然だし、これに対して俺は明確な答えを返すことができません。ただ、これは教育現場が持つ特殊な環境が理由のひとつに挙げられると思います。教育現場は少数の「当事者」の近くに大勢の「当事者以外」が密集している環境です。そしてその多くが10を過ぎたばかりの中学生。事実、この事件が明るみになり大々的に報道されるようになってから多くの生徒が体調不良・精神不安を訴えて欠席しているそうです。この子達の心にはこの事件が一生消えない心の傷、トラウマとして残ることは間違いないでしょう。そう考えると、実名報道は正しくなかったのでは、とも思えます。


気になったことふたつめ。教師への誹謗中傷について。


現在、web上はこの教師への罵詈雑言で溢れています。でも本質は違いますよね。教師も加担していたことは事実のようですが、もっと直接的な原因になったのは「同じ生徒からのいじめ」だったはずです。週刊新潮実名報道で世間の目が一気に教師に向きましたが、いじめた生徒側の行動こそ注視されるべきではないでしょうか。北海道新聞にこんな記事がありました。

http://www.hokkaido-np.co.jp/Php/kiji.php3?&d=20061022&j=0022&k=200610220665

この子供達の親は一体どんな人なんでしょう。。。親子で通夜に行ったと思うのですが、「笑いながらひつぎを覗き込む」我が子を見て何も思わないのでしょうか…。


この事件は、役所・学校・家庭や地域社会を全て巻き込んだ大きな社会問題として取り上げられるべきです。この事件の原因は「誰が悪かった」だけでは済まないでしょうし、それでは世間も納得しません。今回はたまたま福岡で話題となりましたが、いじめはどこの学校でも日常的に行われていることであって、この事件は本当に氷山の一角、カケラがたまたま発覚したものだと俺は思っています。文科省も重い腰を上げ、全国の学校にいじめの実態の洗い出しを命じました。失われた命を無駄にしないためにも、これがきっかけで多くのいじめに苦しむ人が救われるよう願ってやみません。

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最後に、、、何故俺がここまでこの事件に固執するのか。それは、俺がかつて虐められる側の人間だったからです。自暴自棄になり、赤信号を左右確認せず自転車で突っ切るような「どうなってもいいや」的な考えを持った時もあります。だから親に相談しなかったその生徒の気持ちがとても良く分かります。俺も一人で悩んでいたから。でも、だからこそ俺は「弱い立場」の人の気持ちが分かる気がするのです。常に人の上に立ち、相手を見下すことしかしなかった人、自分が弱い立場に立ったことのない人に決してこの想いは分らないでしょう。


俺が今まで見てきた教師は、常に生徒の上に立ち「俺の高みにまで早く上がって来い」的な方々でした。無論そのやり方が間違っているとは思いません。教師には強力なリーダーシップが必要であることは百も承知です。だた、その中にひとりでもいい、"生徒の立場まで自分から降りて生徒と一緒に上に登る努力をする教師"がいてもいいんじゃないかと思います。綺麗事だと思う方もいるでしょう。誰かのように「理想を抱いて溺死しろ」と言う方もいるでしょう。でも構いません。


俺が目指すのはそんな教師です。